世界遺産登録の熊野について、
目に留まった「え~?!」となったキーワードがあった。
順に見ていくと、、、
「世界遺産」
「熊野古道」
「パワースポット」
「神々が宿る場所」
「神様の降臨」
・・・・ときたら、、、次はなんだと思いますか?
熊野古道を歩いた経験がある人は、、、
「そんなの当たり前ですよ~」って思うかな、
私にとっては、「そんなことないでしょ~!」って思っていたことでした。
パッと読むための見出し
熊野古道を歩くことは修行?!
熊野を調べていて、ふと目に留まったキーワードはですね、
そうなんです。
タイトル通り
「熊野を歩くことは修行」
どう思いますか?
わたしにとっては、、、全くもって修行をしたくて歩いていたわけじゃなかったけど、、、昔から熊野古道を自分の足で歩くことは修行になるとのことでした。
熊野詣が始まったのは、平安時代あたり。
皇族が京都の都から熊野へ向かい、それがどんどん庶民へも広がっていった。
神秘の場所、
熊野の神様にお願いしたら救われるという気持ちが強かったのでしょう。
今も昔も、ある意味同じ
昔は、極楽浄土を求めて、
自分自身のため、
家族を思い、歩いていた、
「熊野は蘇りの地」
今も、
何かを求めて、歩いている
何かを求め、神社やお寺に行ったり、
パワースポットへ行ったり、
ご利益目的になるのかな、
神社に足を運ぶ人が多いですよね。。
そもそも、修行とは
1、悟りを求めて仏の教えを実践すること。
2、一切の欲望を断って心身を鍛練・浄化する宗教的行為。
3、技芸などを磨き練って自己をきたえること。
2番目の心身を鍛錬についてはそんな気もします。が「一切の欲望を断って」については、そこまではしてないし、できないですね~、、、特に宗教的ではないのだけで、浄化というのもわかる気がします。浄化したくて歩くというより、結果的に浄化されたという感じ。
歩くことは浄化?
私にとっては、歩くと気持ちが良くなっていくんですよね、、、
無心になっていって。
今まで、考えていたこと…
いやいや、考えすぎでいたことが自然とすーっと消えていく
私にとっては、歩くという行為はとってもいいのです。
「浄化」になっています
歩く事だけでなく、別の方法での浄化もあります。
例えば、
パワースポット、聖地と呼ばれるところに行くと、
自然と、ひとりでに、
頭の中がいっぱいで、ごちゃごちゃとなっていたことがすーと消えていく。
悩んだり、一生懸命に考えて考えて答えを出そうしていたことが、、、「な~んだ。」となっていく。
「そんなに考えたって、今答えが出ることでもないし」と客観的に自分のことが見れたり、大きな視野で自分を見ることが出来たり。答えがみつかることはよくある。
自然の力だったり、
聖地と呼ばれる磁場の力もあるのでしょう。
熊野古道を歩くのも、
熊野の山々の土地のパワーもあると思います。
歩くのが浄化だと。。。。どこでもいいのか?
できれば、やっぱり自然の中、または、巡礼路がいいです。
やっぱり、普通の道と巡礼路・・・熊野古道やスペイン巡礼の道は違います。(体験から)
熊野古道は、1200年くらい前から続いている祈りの道。
人々が何かを思い、何かを願い、何かを求め歩いた道・・・その「何か」が残っているのでしょうね~、「何か」
1000年以上も続いている道、
そして、今もなお、歩いている人がいる。
今も昔も、、、神に祈り、神に祈願していた。
信じることなのでしょう。
神様が助けてくださるのでしょう
目に見えない力、
神様のパワーって見えないけど、
信じています。
真剣に祈ると通じるんだと思います。
だからこそ、神社に参拝するときは神聖な気持ちで入らなきゃ失礼だし。
鳥居をくぐって、神域に入る時も気持ちを整えて入った方がいいのです。
書きながら、ちょっと思い出したことがあるので、
まずは神様の話から。
記憶に残っている神様からの教え
友人知人を熊野の名所に案内していた時のことです。
以前、語り部さんの案内で、ある滝に連れて行ってもらった時、とても神聖な感じで。なかなか行くのが難しい場所で、秘境の秘境の滝。
見ているだけで、いらないものがそぎ落とされていく。
一度行って、とても気に入ったのです。
そこで、そんないい場所があるのだったら、是非みんなを連れて行きたい!と思ったのです。
その滝は、実は昔から修行をするための滝だった。
それが、熊野への観光客も増え、滝までのルートはきれいに整備され、誰でもが行ける場所になっていた。
しかし、
平成23年の熊野地域を襲った大型台風の影響で道も壊され、今まであった遊歩道はなくなり、なんとか歩いて行けるという場所になっていた。
ですが、私はそんなことも気にせず、いい場所だからと、、、みんなを連れていく計画を立てていたのです。
どうなったと思いますか???
行くには行けたんですけど、
私はあやうく滝壺に落ちそうになりました。
滑って、ぎりぎりのところで、しりもち。
なんとかセーフ。
友人の中の一人には、大きな岩がごろごろと山から落ちてきて、危うく直撃を免れた。あと30㎝ズレていたら、、、考えただけでぞっとします。
それぞれのみんなに、なにかしら起きていたようなんです。
でも、ぎりぎりのところで守られている。
大事には至らない
誰も怪我せず、無事に、滝まで辿り着き、それぞれが記念撮影をすることが出来ました。
私は滑ってしりもちをついたので、その後しばらくはドキドキしていました。落ちたらどうなったか?と考えるとスーと血の気が引きました。
だからあの時は頭がいっぱいで、やっと我に戻った時、とにかく誰も怪我せず無事に車まで戻ることを祈っていたのです。
みんなに注意を促しながら、ゆっくり下って行きました。
無事に車まで戻って来れて、ほ~と安堵。
実は数か月前に下見に来ていた時よりも道はさらに足場が悪くなっていて、草がボーボーだったのもあるし、ちょっとぬかるんでいたところもあって、以前と比べとても厳しい道になっていたのです。
そして、、、
あれ?
なんで、そこまでして、みんなを連れて行ったのだろう?
こんなに道も悪いのだったら、無理してくることなかったんじゃない?
そして、一番申し訳ない気持ちでいっぱいになったのは、最初に滝に行く時の心構え。
私は何も説明してなかった。
車から降りて、ぞろぞろとみんなで歩き出して、いきなり神域にお邪魔していたんですね。
修行する滝ということはとても神聖なわけで。
いくつもある滝の中で、修行の滝になっていると思うのです。
実際に修行のために使われていたというのだし。
それが、修行の目的でもなく、ただ単に観光の一環で滝に行ってしまったことをとても反省したのでした。
「かみさま、ごめんなさい」
「そして、今回は守ってくださって、ありがとうございます」
今後、神域に入る時は、もっと静粛な気持ちで入ります。
きちんと、礼をつくす
そして、入るべき場所ではない場所は、観光で行くべきではない
「修行をする滝には、今後観光目的では来ません。ごめんなさい」
そんな気持ちになったのです。
神社だったら、鳥居をくぐる時に、一礼したり、神社に参拝の心づもりで行くでしょう。
でも、ここは滝。
ここから神域ですという看板なんてないのです。
それぞれの気持ちが大切ですね。
それをちゃんと説明しなかった私の責任です。
本当に神様は守ってくださり、教えてくれました。ありがとうございます
熊野は自然信仰
自然を神様と見立てて、、、例えば、山々、滝、樹齢800年以上の巨木、巨岩(磐座)など。神さんとして敬い祈っていた。それが熊野の信仰。
もちろん、そういう場所にはもともと鳥居も何もないわけで、自ら、神域に入る心構えがいりますし、神さまに今から入らせて頂きますとご挨拶も必要なんだと思います。
ほんとにね、誰も怪我もなく無事でよかったです。
全部、ぎりぎり
私も滝壺に落ちそうで、数センチのところで、止まれたんですよね。不思議だったけど。落ちてもおかしくない感じだったのにね。滑った時、間違いなく滝壺に、水の中に入ってしまうと思ったのが、ぎりぎりで止まった。これって、やっぱり、守ってくださったんです。
戒め・・・今度こんなことはしたらだめだよ。そんな意味も込められてるなと感じました。
神様が教えてくださったのだと思っています。
私は神社で写真を撮る時には、小声で、「失礼します」「写真を撮らせてて頂きます」「どうもありがとうございます」と言っています。
やっぱり、勝手に入り込んで、カシャカシャ写真を撮って帰っていくって失礼かな~と思っているからです。人の家ももちろんそうなのに、神様がいらっしゃる場所なのですから
自然にも感謝をしながら、写真を撮らせてもらった方がいいですね。
私の体験からですけど、、
見えない力、
神の力ってあると思います。
「世界遺産」に熊野古道が登録された理由とは・・・
熊野は、和歌山県、三重県、奈良県の3県にまたがっている広範囲。
(出展:http://www.tb-kumano.jp/kumanokodo/)
紀伊半島の大部分を占める紀伊山地は1000m~2000m級の山々が連なる地形、多雨の地域であるので、豊かな自然が育まれている場所。
日本では古来から山は神様の住むところ、または神様そのものと考えられていました。
神話の時代から神が鎮まる所として特別だと考えられていて、仏教では深い森林に覆われた山々を阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」に見立て、超自然的な能力を習得するための修行の場であった。
もともと、山々は修行の場だったんですよ~、、、
そして、紀伊山地には三つの霊場が生まれた。
「熊野」
「高野山」
「吉野・大峯」
古くから神様の場所として崇拝されてきた紀伊山地の山々は、新しく渡来した仏教の影響のもと、宇宙や自然の中にひそむ神秘的な力を身につけるために山岳修行の場となっていった。修験道になるわけです。
そんな熊野が世界遺産になったのには、ただただ、自然の景観が素晴らしいということではなく、日本の昔からの文化が創り出した霊山であり、また、その3つの霊場は違う宗教なんです。違う宗教であるにもかかわらず、熊野古道で結ばれている。
熊野古道とすぐ口にしちゃうけど、熊野全体なんですよね。
熊野・高野・吉野の3つの霊場。
世界遺産登録=熊野古道ではなくて、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されているのです。
3つの違う宗教が共存している場所は世界的に見ても、このような世界遺産は稀で日本で唯一、世界でも類を見ない資産として高い価値なんです。
世界でも珍しい世界遺産なんです。
祈りの場所で、古くから人々がお守りし、祈ってきた場所。
自然があり、祈りがあり、人々が守ってきた
最後に
熊野古道の事がわかってくると、、、やはり修験道がもともとあったことも関係してくるので、
「熊野古道を歩くのは修行」そうですね~、これが始まりだったのでしょう。
熊野古道を歩くことが修行であると思い感じて、次に熊野古道に行ったとき、きっと何か違う意識が自分の中から生まれそうな気がします。
そして、祈りながら歩くことは、無心になっていくと思う。
熊野古道を歩くことは、今も昔も、やっぱり難行苦行なんですよね・・・実際に歩き続けるのはキツイ。大変です。
それをしよう!と思うのですから、修行なんでしょう。
修行好きとは思っていなかったけど、歩くのは好きだから。。。(^_^)
そして、何かを得たい。
浄化でもあるし、
自分自身を見つめ直す機会になったり、
歩くことで元気になったり、
巡礼路を歩くことは、何かしらその本人のためになっているのだと思う。
そして、その本人が浄化されクリアになって、
穏やかになるのなら、
神様のパワーを受け取っているのなら、
それは、その人の周りにも影響していく、
そんな気がします。
見えない熊野の力が波及しているのかもしれないですね。
1000年以上も続いている道なのですから。
今更ながら、あらためて、熊野って本当にすごい場所なんだな~と。
熊野もいろいろな名所が本当にたくさんあって、どこもいいと思っていたことも納得です。
だってね~、熊野エリアの山全体、自然全体があっての、世界遺産登録の「紀伊山地の霊場と参詣道」なのですから。
惹かれるわけです。
今までなんとなく、熊野がいい、熊野の自然が好き、熊野古道が好き、と思っていたけど。。。それだけ、やっぱり霊力というか、紀伊山地の山々に宿っている神々のパワーってあるのでしょうね。
そんなに深く、難しく考えることはないけど、
ただ、熊野はいいですよ!ってことです。
今までに世界各地、いろいろな聖地へ旅してきたけど、その中でも熊野古道については、一種独特の類まれな何かを感じていたけど・・・
やっぱり、何か・・・ありました。
熊野古道・・・「紀伊山地の霊場と参詣道」は、日本で唯一、世界でも稀有な世界遺産の場所です(^_^)
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